(1)倒産と民事再生
企業は業績が悪化して、会社の継続が困難になり倒産することが多いですね。倒産の中でも民事再生は、中小企業でよく使われる倒産であり、融資返済が困難になると民事再生を申請してスポンサーによる企業再建を目指すことになります。会社が倒産すれば、銀行融資だけでなく受取手形や売掛金などの債権は、全額支払われないことが多いですね。企業取引で、取引先の業績や資金回収の期間が重要になるのは、お金がない販売先から代金を回収できないことがあるからですね。
企業の倒産と資金繰りについて、会社と銀行についてよく言われますが、個人についても同様の事が言えますね。お金がないときに友達からお金を借りる人がいるようですが、銀行や消費者金融から借りることができない人は、破産する可能性が高いため返済される可能性は低いと言えますね。
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(2)駿河屋の会社概要 老舗の和菓子屋
- 1461年 京都伏見で鶴屋が室町時代に創業
- 1461年 初代岡本善右衛門が和菓子製造で創業
- 安土桃山時代 豊臣秀吉が絶賛したという逸話
- 1619年 徳川頼宣が和歌山に転封 徳川御三家の紀州徳川
- 1619年 5代岡本善右衛門氏が徳川頼宣に同伴
- 1619年 5代岡本善右衛門氏が徳川頼宣に和歌山駿河町に屋敷を与えられる
- 1658年 練りようかんの製法を確立
- 1681年 徳川5代将軍の徳川綱吉の長女である鶴姫と徳川綱教が縁組
- 1685年 徳川綱教と鶴姫が婚姻 紀州に輿入れ
- 1685年 徳川家が駿河屋の屋号を与える
駿河屋は、室町時代の京都伏見で創業しており、老舗のお菓子屋であると言えますね。駿河屋は豊臣秀吉が絶賛するほどの味であり、徳川家の関係で名前を変えたなど、老舗ならではの逸話があるので魅力的な会社であることが分かります。
徳川綱吉は長女の鶴姫がお気に入りのため、1688年鶴字法度を出しており、一般人が鶴という字を使うことを禁止しました。駿河屋は紀伊徳川家と密接な関係にあり、御用お菓子の納入を続けていますが、鶴姫の輿入れをきっかけとして社名を変更したようですね。
(3)駿河屋の株式上場
- 羊羹、饅頭、煎餅などの製造や販売
- 百貨店やスーパーで販売 直営店でも直販
- 1944年3月 16代 岡本善右衛門氏 駿河屋食品工業に法人改組
- 1946年 京都伏見総本家駿河屋と合併
- 1950年 駿河屋に社名を変更
- 1953年5月 店頭公開
- 1961年10月 東証2部に株式上場
- 1961年10月 大証2部に株式上場
- 1992年3月期 売上高約60億2500万円
駿河屋は戦後の店頭公開に成功しており、東京証券取引所と大阪証券取引所に上場していますので、順調に発展していたようですね。駿河屋は和菓子離れだけでなく、新分野の開拓失敗と増資の失敗で倒産危機となります。
(4)駿河屋の資金調達失敗と架空増資
- 2003年 投資会社を引受先とする融資返済
- 2003年 投資会社を引受先とする増資計画 運転資金が資金使途
- 2003年 投資会社からの資金調達による混乱で投資会社が筆頭株主になる
- 駿河屋が投資会社を提訴
- 2004年11月 架空増資で大阪府警が当時の社長や投資会社元社長など5名を逮捕
- 2004年11月 架空増資による電磁的公正証書原本不実記録・同供用容疑で逮捕
- 2005年1月 駿河屋が上場廃止
駿河屋は融資返済したうえで、増資により運転資金の調達を検討していたようですが、ファイナンスの基本から考えると違和感を感じますね。駿河屋のように、運転資金を銀行融資から増資による資金調達に切り替えることはあまりないですが、駿河屋の資金調達に問題があり関係者が逮捕されています。
割引手形審査ゆるい理由は倒産をまとめましたが、取引先は経営悪化を懸念して経営者の逮捕を懸念することになります。駿河屋はお菓子販売で、消費者を相手にする現金商売と思いますが、百貨店や仕入先は駿河屋の経営悪化で取引の懸念を高めたと言えますね。
(5)駿河屋の売上減少と倒産
- 1992年3月期 売上高約60億2500万円
- 2013年3月期 売上高約16億4600万円 当期赤字6200万円
- 2014年1月17日 駿河屋が民事再生法を申請
- 2013年3月期末 駿河屋の負債総額 約9億400万円
- 駿河屋の倒産直前は3期連続の赤字により繰越損失を計上
- 駿河屋は倒産を回避するために銀行から金融支援を受けていた
駿河屋は財務状況を見ると3期連続赤字を計上している上に、銀行から金融支援を受けていたため倒産直前であったことが分かります。駿河屋は資金調達と銀行融資返済の失敗が理由で倒産しており、銀行融資で継続的に運転資金を調達することは重要であると言えますね。 スポンサードリンク
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